スピリチュアルという言葉の意味
「スピリチュアル」と聞いて、どんな印象を受けますか?
興味がない人にとって「スピリチュアル」という言葉を聞くと拒絶反応を感じる方も
おられるのではないでしょうか?
私自身もペンデュラムセミナーを受ける前までは「スピリチュアル」と聞くだけで
【怪しい】【胡散臭い】【危険】といったイメージを持っていました。
でも、実際なんの根拠もなく、スピリチュアル=宗教??みたいなフワッとしたイメージと
不安からくるものでした。
ここでお伝えしたいのは、スピリチュアルという言葉の意味についてです。
スピリチュアルとは英語ですが、日本語の意味のニュアンスとは大きく違います。
もちろん、胡散臭いと思われる意味の「霊的な」というイメージもありますが、
どちらかというと「精神的な」という「物質的な」という意味の反対語としての
イメージがあります。
つまり、最近よく使われる「マインド」という言葉や、日本人にとっては馴染み深い
神社やお寺へのお参りなどもスピリチュアルであると言えるのです。
現実世界とスピリチュアル世界
とはいえ、スピリチュアルと聞くとどうしてもフワッとしたイメージした浮かんでこないかと
思います。
祈りを捧げたり、浄化したり、あとは心霊的なものもイメージとして大きいと思います。
物質的な世界の反対である目に見えない世界を「スピリチュアル」の世界と表すと、
全く別物といった感じを受けますが、実際はそうではありません。
目に見える世界も目に見えない世界も同時に存在しているので、
どちらにも触れること(アクセスすること)は可能なのです。
例えば物質が急に目の前から消えるなんてことは手品以外に起こりませんがw、
目には見えないものの匂いがしたり、誰かがいる気配を感じたりすることや
第六感のような虫の知らせを感じたことがある人は存在しています。
見えないから「ない」ではなくすべてが「ある」と考えてみると、
その中で見えている触れているものが現実世界、見えない世界がスピリチュアル世界と
いうことが理解できるのではないでしょうか。
そして、波長があったときに両世界の接触が起きるようなイメージです。
日本人はスピリチュアルな人たち
日本は宗教にしばられている人は少ないように感じます。
ですが、年の初めに初詣に行ったり、お盆には先祖の霊が帰ってくるということで
お墓参りや行事をおこなったり、節分、ひな祭り、端午の節句、七五三、七夕の願い、
お月見、七五三、大晦日など、たくさんの行事があり多くの人がそのうちどれかは
必ずと言っていいほど参加しているのではないでしょうか?
これらは目に見える世界のことですか?その行事の元になっているのは
「心」つまり「精神的なもの」だと思います。
最近、YouTubeで「縄文時代の日本人の骨には刀傷がない」というお話を聞きましたが、
大昔は今では考えられないほど感覚の部分が研ぎ澄まされていて
人と人とがお互いに以心伝心のような関係性であったように私自身も感じています。
そんなもともとはスピリチュアルな人たちであった私たち日本人が「スピリチュアル」という
言葉の偏見を持っていることはさみしいことだなと思います。。
スピリチュアル(精神的なこと)を活かすときに大切なこと
スピリチュアルは現実世界に活かしていくことができます。
ですが、スピリチュアル(精神的なこと)を現実世界に活かそうとするときに
気を付けた方がよい大切なことがあります。
それは、自分自身のコア、軸をしっかり持てているかということです。
自分自身の本当の感覚がコレ、ということがわかっていますか?ということです。
それがわかっていないと、目に見えない分、自分の都合の良いように解釈したり、
欲を叶えるためにスピリチュアルを使ってしまうことが起こるからです。
そういう使い方をしてしまうと、カルマという言わば負のポイントを得てしまいます。
その負のポイントはバランス的に必ず清算する必要があるため、今のあなたかもしくは
次に生まれ変わったあなたか、もしくは子供や子孫へと引き継がれていってしまいます。
ちょっと怖い事をかきましたが、良くない方向にスピリチュアルを使わなければ問題はありません。
現実世界にスピリチュアルを活かすのは、自分のことを良く知り、どのように生きていくかを決めて
一度限りのこの人生をいかに楽しむかというと、ころです。
他の人とどのような繋がりを持ち連携をとってみんなで幸せに生きていくかというところです。
精神性の高い日本人が今、少しづつそのことに気づき始めていると思います。
あなたはどうですか? そろそろ見せない世界=自分の心の中に目覚めませんか?
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