頑張っていないと自分を無くしてしまうような感覚だった

先日、YouTubeライブ配信の中で「過去」について話をしていく必要がある感覚がするというお話をしました。ふと昔の自分は「頑張らないと!」という思いがあり、常に何かと戦っていた気がするという話をしていました。

そのことについて少し書いてみたいと思います。

頑張って評価されることが大事だと思っていた

過去の私は「頑張る」ことが当たり前だと思っていました。「頑張らない=なまけもの」という式が頭の中にありました。

なまけものは人に馬鹿にされる、非難される、相手にされない、といった概念があったのだと思います。

それがいつ私の中に出来上がったのか、、はっきりといつ頃とは言えないのですが、おそらくスタートは幼少期にさかのぼると思います。

とにかく、母親が怖かったことを思い出します。今の時代でいうと虐待となるようなスパルタな母親でした。そしてとても怖かったと同時に大好きでした。

母親に褒めてもらうととてもうれしかったのを覚えています。

母親は私が学校などで評価されるととても誇らしげで嬉しそうで、そんな風に喜んでもらいたくて私は頑張って勉強していたようにも思います。

でも、評価されなかったり失敗したときに、母親はとても残念な顔をしていて、でも私にそのことについて声をかけることはなく、私はスルーされている感じでした。

母親の残念そうな様子に胸のあたりが痛くなったり、なぜ何もなかったかのように黙ってしまうんだろう?と思ったりしました。

母親のうれしい顔、誇らしげな顔がみたい、褒めてもらいたい、といろいろなことを頑張りました。頑張らないと評価されないし、こっちも見てくれない、という感覚があったように思います。

もしかしたら、親の時代的に「はたからざる者食うべからず」という概念があり、そういった感覚を受け継いだだけかもしれません。

もともと持っていた心の弱い部分の「不足感」にガッチリ作用したのかもしれません。

現状よりもっと上を目指す向上心のある人でいたい

幼少期から少しづつ着実に、「頑張る私が大好き」な自分が出来上がっていったように感じます。

 

今の自分に満足することなく、もっと上を目指す!

常に上に目標を設定してそれに向けて頑張っていく向上心を持っていたい!

 

そのために、自分を自分で叱咤激励して頑張り続けていました。

「ビジョンがないなんて何のために生きているの?」

そんな言葉を人に平気で言ったこともありました。(本当に恥ずかしいです汗)

「私はこんなに頑張っている、でもまだ足りない、まだ足りないから目標を達成できないでいるんだ。」

「不足感」でいっぱいの人生を送っていたなぁと振り返っみてしみじみ思います。

上を目指すということはどんどんエスカレートしていき、自分のキャパを超えた目標設定をするようになっていきました。

当たり前ですが、目標達成なんてできるはずがありません。

「なんでうまくいかないの?自分の頑張りが足りていないんだ。もっと頑張らないと」

こんな事を続けたので、本当にしんどい人生だったと思います。

自分でしんどい生き方をしていたんですね。

頑張っていた私を認識した結果

でも、自分ではそんな状態だなんて気づいてもいなかったんです。

それが、案の定ではありますが、プチっと糸が切れたようになった時がありました。

そのおかげで当時の仕事をやめることができ、自分を見つめなおすきっかけになりました。

そこから色々あって、スピリチュアルの世界を知り、自分の心の弱さの部分を知っていくうちに、

「頑張っていないと自分がなくなってしまう」という私の意識を認識したんです。

イメージの中のその私は小さな女の子でした。

それなのに大きな波がサブサブと打ち寄せている岩の洞穴のような天井の部分にしがみついていました。

髪はボッサボサでボロボロの服で、伸びた前髪で目は見えませんでしたが、両手両足の爪は岩に張り付くために尖っていて、歯もなぜか尖っていました。

その子を何とか下におろして手をつなぐと、ガタガタと震えていました。

頑張ることをストップした私の意識は「無くなる」ことへの恐怖に震えていました

その女の子のイメージを見たとき、私は自分のことを客観視することが出来たんだと思います

「何のためにこんなになるまで頑張っていたんだろう?」と改めて思いました。

そこから、「必死で頑張る」というクセを無くしていこうと本気で思えました。

イメージの中ですが、しばらくの間その女の子は私と手をつないで一緒にいました。

表層意識の私が、頑張らなくても大丈夫ということを実体験してその子に見せていく、ということをやっていきました。

その結果、今はもうその子のイメージはいなくなりました。

頑張らなくても大丈夫

過去の記憶や思いというものは、無意識下で自分の中に残り続けます。

そして、もう必要のない過去の思いや意識を認識したらどうすればいいのかというと、

今生きている自分の表層意識で「必要がない」ということを実体験していくことが過去の呪縛から解き放たれる方法の1つなのかなと思います。

「こうしなければ~」という恐怖から生まれる概念は、心の弱い部分そのものです。

そうしなくても大丈夫ということを今の自分が実体験すれば、

「あ、そっか!」「本当だ。」と自分の中で何かが変わるきっかけになると思います。

私は、「頑張らなくても大丈夫」ということを実体験することで本当に心が軽くなりました。

心の弱い部分は、何かをきっかけに再発することがあります。

でも、自分でそれを知っていれば何も心配することはありません。

その都度、「あ、大丈夫だったんだ」と思い出せばいいのですから。。^^

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