「頭で考える」と「心で感じる」について、今の私が思うことを書いてみました☆
頭で考えるとは
幼い時は、ほとんどの人が頭で考えたりしないで心のままに行動していたと思います。
そして社会生活を営むうちにどんどん頭で考える時間が多くなり、
そのうちに自分の心が何を感じているかを見失っていくのかもしれません。
特に勉強が出来る人は頭で考えて動くことが多いのではないでしょうか。
「感覚」という曖昧なものに、どこか心地の悪さを覚えてしまったり、
興味を持つことがあるとして、「どうすれば出来るようになるか」を考えたり調べたりして、
出来るようになろうと練習したり、努力したりするのではないかと思います。
結果がどうであれ、一生懸命やるんですよね。
私もそこそこ勉強が出来る方でしたし、一生懸命努力することが嫌いではありませんでした。
やり方さえわかれば、練習したりコツコツあればある程度出来るようになるものだと思っていました。
そうやって頭で考えることが当たり前で、時々違和感を抱いても気づかないくらいのスピードで
その違和感を打ち消してきたのだと思います。
「みんなそうなんじゃないの? そういうものでしょう。。」
そんな風に疑いもせず、思い込んでいました。
だから、、「心で感じる」っていう言葉を聞いたときも、
「ん?それってどうやるの?」という感じでしたw
さて、「心で感じる」と「頭で考える」はどんな風に違うと思いますか?
心で感じるの意味
昔の有名な映画のセリフに、
「Don’t think. Feel.」(考えるんじゃない。感じろ。)
というのがありました。
これは、格闘の技を教えてと言われた人が言ったセリフです。
型をマネしたところで本当の意味で技は身につかないということですね。
頭で考えている時って、「どうすればいいの?どうやるの?」と
形や方法に固執してしまっているのではないかと思います。
言い換えると、「やり方が悪い(間違っている)から思っている結果にならない」という風に
なってしまうのかなと思います。
でも、心で感じて行動する時って、自分に集中している感覚というか、
言葉に表すのは難しいのですが、「なんとなくそんな感じがするから、そうする」という感覚だと思います。
それには、正解も不正解もないのだということが、今はわかります。
でも、前まではそれこそ頭で理解していても実感としてはわかっていなかったなと思います。
「考えてもわからないから、まずはやってみよう!」
という感覚で行動しているうちに少しづつ感じることが出来てくるのではないかなと思います☆
そして、心で感じて動こうとする時に、固定観念や思い込みはめちゃくちゃ邪魔になります。
だから、無視することが大切だなと私は思っています^^
私もまだまだ頭で考えてしまいそうになるクセが治ってはいません。
でも、1つだけ言えることは、
心で感じて行動している方が、頭で考えて行動しているよりも何倍も楽しいということです。
心で感じて行動した後に、「なぜあんなに心配していたんだろう?」とか
「何をそんなに固執していたんだろう?」とそれまでの感覚と違うものが感じられるんです。
それは、言葉にすると「軽やかさ」とか「さらっと感」みたいな感じでしょうか。。
今後も心で感じて行動することをもっとやっていきたいと思っています☆
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