今日は、個人的に感じることを
大きな自戒とともにつぶやいてみました^^;
親が子供のことを心配するのは何故だろう?
「親は子供の成長を願い、独り立ちすることを応援する存在」だと感じる。
成長を見守り、独りで生きていけるようにサポートするだけで本当は十分なはず^^
なのに、心配する親は、先に起こる失敗を心配し先手を打ってしまう。
その心配は、子供自身を「心配するのが当たり前」という概念に導いてしまう。
そして、子供は「こうしなければ、こうなる」という呪いにかかることになる💧
そしてその呪いは、また次の世代へ受け継がれることが多いのではないかと思う。
失敗を恐れて挑戦しない、無難な生き方をするのがよい、という思い込みによって
たとえ子供がその呪いを解くために小さな挑戦をしても、もし失敗したとすると、
親は「それみたことか!」と得意げに自分を正当化し、
子供は「やっぱり、やらなければよかった」という失望感が植え付けられることになる。
そうやってその呪いは連鎖していくのではないだろうか。。
「心配」が無くなったら、親も子供ももっと自由に生きていける気がする✨
どうすれば親の心配を無くすことが出来るのだろうか。
「親は子供の心配をするのは当たり前」という概念があるからか・・?
いや、、今、自分を顧みて思い出したことがある。
私は高齢出産で子供を産んでまもなく離婚をした。
40を過ぎたある日、もう子供は産めないだろうと思った。
そのとき、「この子に何かあったらどうしよう」と途轍もない恐怖が襲ってきた。
その絶望的な恐怖を必死で抑えこんだことを思い出した。
恐怖は抑え込んでも大きくなるだけなのに、当時の私は知らなかったのだ。
過保護や心配症の親は、核家族化が進むとともに増加したのではないかと今思った。
これはただの想像だけれど、
9人の子供を育てるのと2人の子供を育てるのは、親の感覚は全く同じではないのではないか。
1人に対する意識の向け方の度合いが違うのかなと思ったり。。
私のようにシングルマザーだと尚更、その思いは執着にさえなりかねない。
「この子のために」と歯を食いしばり、親は生きる糧にするけれど、
子供にとっては関係ないこと、行き過ぎると恩着せがましく迷惑にもなる。
人間の赤ちゃんは、生まれてからある程度の歳になるまでめちゃくちゃ手がかかる。
そのことも思いが強くなる要因の気がする。
親は、子供は自分とは別の人間で別の人格であることをちゃんと認識しないといけないのだと思う。
赤ちゃんとか子供とかではなく、ちゃんと「人間」として認識しなければいけないと思う。
これは、簡単なことではないけれど、これから親になる前の大人がそのことを知っておく必要があるのではないだろうか。
自分のために子育てをするのではなく、「育てさせてもらっている」くらいに思っておく方がいいのではないだろうか😅
親は、子供に対してどこか自分の「所有物」のような感覚になってはいないだろうか。
私の子供、私がお腹を痛めて産んだ子供、ほとんど寝ずに世話をしてきた子供。
まるで自分の分身のように思ってしまっている節はないだろうか。
子供は自分とは違う人格を持った1人の人間なのだ。
頭でわかろうとするのではなく、
薄々気付いていながら気づかないふりをしている自分の心の部分を
ちゃんと見つけてあげるといいのではないか。
そうすれば、親は自分が失敗してきたからと言って子供も同じ失敗をするとは決まっていないと
いうことが本当に理解できるのではないか。
いまさら気づいた私のような親は、いちいち何かにつけて意識していけばいいと思う😉
少しづつ意識付けしていくことが出来ければいい。
失敗したって構わない。子供はちゃんと1人で学んでいく✨
親が変われば、子供も変わると思う。
そうやって親が変わっていけば、心配の連鎖を無くすことが出来るのではないかと思う。