自分の中に「あきらめない」部分を感じた
いつだったかはちょっと忘れてしまいましたが、自分の光の部分なんだなと感じたことがありました。
心の光の部分てなかなかはっきりとは感じ取りにくいのですが、それこそフワッとした感じで感じ取ったのが、
「あきらめない」という感じの部分でした。
以前、闇とガッツリ戦っていた時に「音心さんて、なぜそんなに頑張れるんですか?」って聞かれたことがありました。
その時は、「え?・・・わからない」という感じでした。
今にして思えば、私の中の光の「あきらめない」部分が関係していたのかもしれないなと思います^^
「あきらめない」には、光の感覚もあれば闇の感覚もあります。
今日はそのことについて書いてみようと思います☆
闇の感覚の「あきらめない」とは
闇の感覚(心の弱い部分の感覚)でいう「あきらめない」というのは、例えば、
- 何かを目指していてその目標を達成したい
- 何かに敵対して負けたくない
- 理想の自分になりたい
- 何かを得るまでがんばりたい
といった欲の部分が大きいような気がします。
言葉にするのは難しいので誤解されることもあると承知して書いていますが、
以前の私でいうと、「やったるで!」とか「負けへんでぇ~」みたいな感覚だったと思います^^;
これをやってやり通したら上に行ける、とか、あきらめずに目指し続けていればいつか叶うはず、とか
そういった心の弱い部分から発生した「あきらめない」は、細いレールの上を走らされているような不自由な感じがします。
以前の私は、まさに上に書いたような「あきらめない」闇の感覚で生きていました。
自分の心がもたらした現実だということも知らず、ただ闇雲に「頑張るしかない」と思うようにしていました。その結果、心はどんどん麻痺していってしまいました。
闇の感覚の「あきらめない」は自分を苦しめてしまう、文字通り闇の中にいてグルグル同じレールの上を走っている状態です。
光の感覚の「あきらめない」とは
一方、光の感覚(心の強さ)の「あきらめない」とは、、、
これを言葉にするのは本当に難しいです^^;
なぜかと言うと、そもそも光ってあきらめるあきらめないの概念がないからです。
ただ、「やりたいからやる、それだけ」といった感覚なんですね^^
やりたいといっても、それは欲から発生しているものではないんです。
なので、どんな感じか感じ取りにくいかと思います。
でも、この感覚ってみんなの中にある光の部分だと感じています。
何を望むでもなく、何かを目指すでもなく、ふんわりとやっていることがあれば、それは光のあきらめない部分が関係しているのかもしれません。
光の「あきらめない」は、なんて言うか「当たり前」であり、見通しがいい大草原で行きたい方へ向かって走ったり飛び回ったり出来るように自由、という感じがします。
やりたいからやっているんですが、なにか? といった感覚という気がしますw
どちらを選ぶかは決められる
闇の感覚の「あきらめない」と光の感覚の「あきらめない」のどちらを選ぶかは自分で決められます。
自分の心の状態によって今、闇の感覚であきらめない現実を生きている人の心の中にも
必ず光の感覚の「あきらめない」はあります。
光の感覚で生きていこうと思うのであれば、「頑張っている自分」を一旦手放してみる、
自分が何を目指していたのか、どんな風になりたかったのか、何と戦っていたのか、何を我慢していたのか、
心の中を感じてみてください。
私の「あきらめない」光の部分は、「今、生きていることがうれしい」という感覚を伝えてきました。
その瞬間、視野が広がるというか、視点が変わる感覚がしました。不思議な感覚でした。
最後にもう一度言います、どちらを選ぶかは自分で決められます☆