今日は、自分の中に残っていた「嘘」に対する嫌悪感や「約束」に対する特殊な概念についてお話してみたいと思います。
嘘をつくこと、つかれることに対しての嫌悪
小さいころから「噓つきは泥棒の始まり」という言葉をよく耳にしました。
いつのころからか嘘をつくことは「悪」への第一歩、という感覚を持つようになりました。
それでも、小さなことで親に嘘を言ったり、「悪い人」と思われたくなくて嘘をついたりしていたと思います。
ただ、嘘をついたあとにものすごく自己嫌悪に陥ることが多く、自分を卑下していました。
それと同時に嘘をつかれることに対してもとても過剰に反応していました。
「信じていたのに裏切られた」という感覚から怒りに変わるような感じだったと思います。
最近、何かの話からそういえば「嘘」に対して「ものすごく嫌だな」という強い感覚があったなぁと思い出しました。
そこで、その思いがどこからきているのかをじっくりと感じてみることにしました。
すると、「約束」という言葉が浮かんできました。
約束という概念がちょっと特殊だった
その浮かんできた「約束」という言葉を感じたときに、「とても神聖なもの」という感覚も感じました。
が、すぐ後に「呪い」「呪縛」という言葉も浮かんできました。
「とても神聖なもの」と思い込んでいるのは闇の感覚で、その感覚で交わした約束は「呪縛」となるような感じがしました。
ちょっとおどろおどろしい感じで重い感覚(波動)のものです。
その約束は、絶対であり破ってはいけない、どんなことがあっても(命がけで)守り通すもの、
というとても窮屈な感じがしました。
これは、今現在を生きている私の表層意識にも影響を与えている気がしました。
なぜそう思ったかというと、自分の中に「約束は守らないといけない」「裏切ってはいけない」という思いが強いなと感じたからです。
ルールや規則、時間や人との約束を守ることに必死だった今までの自分がいたので、そこがつながったような気がしました。
「約束」に対して極端に思いが強く、「誓い」のような感覚もあった感じがしました。
闇の感覚でする約束とは
約束という言葉には、取り決めごと、契約という意味があります。
〘名〙① くくりたばねること。つかねること。※土井本周易抄(1477)一「綸は縄也。物を約束する物也」 〔管子‐枢言〕② ある物事に関してあらかじめ取り決め、将来それを変えないことを互いに誓うこと。ちぎり。契約。約定(やくじょう)。
語源を見てみると、
「約」は、糸を引き締めて目立たせた「目印」を表し、目印をつけて取り決めする意味となる。
約束の「束」は、木を集めて紐を回して縛ったさまを表した文字。
つまり、約束は目印をつけて取り決め、身動きが取れないようにすることを意味する。
とあり、そもそも人の動きを制限するような意味合いのようです。
ということは、現在いろいろなところで交わされている約束とは、
光(自由度が高い)か闇(自由度が低い)で言うと、闇の感覚で交わされているものなのかもしれません。
私が感じる闇の感覚の約束とは、その裏にあるのが「不安」であり「こうなったら困る、こうなったらどうしよう」という不安を打ち消したい心という感じです。
約束=呪縛、つまり相手の動きを制限するもの、もっと言えば相手をコントロールしたいという心も隠れているかもしないなと思います。
私も〇〇するから、あなたも〇〇してよね
という、相手に対して期待する気持ちも含んでいるような気がします。
光の感覚の約束とはどういうもの?
闇の感覚でする約束があるということは、光の感覚でする約束もあるということです。
約束という言葉自体が何かを縛るようなものなのに、自由度の高い約束ってあるのでしょうか・・
いったい、光の感覚でする約束ってどいうものなんだろう?
と興味をそそられたので感じてみました。
すると、なんとなく感じたのは言葉にするならば「信頼」という感覚でした。
「信頼しあう心同士で成り立つもの、だから縛り付ける必要がない」
とそんな感じで、とても軽い(波動)感覚でした。
つまり、「ずっと変えない」という概念はそこにはなく、状況次第で自由に変えていくことが出来る、といった感覚がしました。
約束というより、お互いが「うん、こうだよね」という確認をしているだけという感じです。
嘘や約束に対する極端な思いが消えた
これらのことを認識したり、感覚を感じ取ったりした結果、
私の中に残っていた極端な約束や嘘に対する概念というか思いが解消されました。
日常の中に普通にある概念や観念について、違った角度でみてみると面白いことを発見できるなと思います^^
こういった日々の発見が楽しいんですよね☆
いろいろ感じてみたことをまたシェアしてみたいと思います♪
ありがとうございました!