小さいころから感情表現が豊かだと言われていた
子供のころは、比較的たくさんの人が嫌な時は泣いたり機嫌悪くなったり、うれしい時や楽しい時は
笑ったり走り回ったり、そんな風に感情を表にだすことを自然にしていたと思います。
私は、幼いころから歌を歌ったり、本を音読したりすることが大好きで、それも感情を込めて
表現することを楽しんでいました。
たとえば、本を音読するとき必ず登場人物の気持ちになってセリフを言ったり、声色を変えたりしていました。
この人は、どんな気持ちでこの言葉を言っているのだろう?と思い、それを再現してみることが楽しかったのです。
歌を歌う時もそうでした。歌詞の意味を理解しようとし、その背景や感情をイメージして歌っていました。
それは、わたしにとってただ楽しいこと、自然なことだったんです。
そんな私を見て、周りの大人は「この子は感情表現が豊かだね」「感受性が鋭いね」などと
言いました。
意味はよくわからなかったけれど、なんか褒めてもらっているような感覚になっていました^^;
そのことで、感情豊かなことはいいことなんだ、という概念が生まれたのかもしれません。
喜怒哀楽が激しくなり、それを楽しんでいた
成長するにつれ、ある程度感情を表に出すのをコントロールするようになりました。
けれど、それとともに喜怒哀楽の落差が激しくなっていったように思います。
今思えば、感情を抑えた分の反動が落差につながったのかなと感じます。
そして、その落差を自分では楽しんでいたような感覚がありました。
楽しい時、うれしい時は、バーンと弾けたように喜びを外に出し、
悲しい時はわんわん泣き、怒りがこみあげてきたらそれも外に向けて出していました。
当時は、その落差が気持ちいいと感じていたのではないかと思います^^;
でも、だんだんそれがしんどくなっていきました。。
怒りを抑えられずに自分が発した言動にあとでとても後悔することが多くなっていき、
自己嫌悪に陥りました。
そして、心の弱さゆえに、その辛さから楽になるために、自分を正当化するという方法を身に着けました。
「私も感情的になってしまったけれど、そもそも相手が自分のミスを棚に上げて人のことを批判してくるから悪い」
などのように自分の言動は、相手のせいだと思い込もうとする癖がついていきました。
「私は悪くない」
そう思いたくて、そう思い込んでしまうくらい心が弱かったんですよね。^^;
心が強くなると激しい感情の起伏がなくなった
心の中の自分と向き合い、弱い自分から強い自分へ変化したあとは
あのお腹の底からこみ上げてくるような怒りや、血の気が引くような不安感はなくなりました。
それが自分では一番実感できるところです。とても楽に生きられるようになりました。
以前は、「感情の起伏がないなんてロボットみたいでつまらない」と思っていましたがw、
まったくの誤解でした!
今の自分のほうがある意味、逆に人間身があると思いますw
変化してみて初めて気づけることがあるんですよね。
心の中の闇の問題に取り組んでいるときは、ただ「どうにかしたい、変わりたい」
という思いでしかなかったように思います。
それまでの陳腐なプライドや傲りなんて邪魔だから、ポイッ!ですよw
心が弱い人ほどプライドが高かったり、平気ですって態度を取るんですよね^^;
自分の心は、本当の自分を知っています。
だから、いくら平気なフリをしていても「変化したい」っていう現実、つまり、
変化しないと辛い状況を引き寄せたりします。
だから、変化するチャンスが来たときは、さっさと行動したほうが良いと心から思います♪
最近、スピカラとかスピアカペラとかやってますが、
誰かに褒められたいからとか、認められたいからとかではなく、
素直にただ歌うことや演じることを楽しんでいきたいと思っています♪^^